平成22年度

●「懐かしい未来」へ(12月1日号掲載分)

 瀬戸内国際芸術祭2010が盛況のうちに幕を閉じました。来場者数が当初見込みの3倍以上となり、港や海や島に大変なにぎわいをもたらしてくれるとともに、この芸術祭は、私たちが守るべき大切なものを再認識させてくれた、貴重な機会ともなりました。
 舞台となった瀬戸内の島々には、宮本常一が「忘れられた日本人」の中で記している、親にしかられて家に帰ってこない子どもを、島の村人が夜遅くまで総出でそれぞれに心当たりを探す、というような村落共同体的な気分が今でも残っています。そんな島の風情を垣間見させてくれるこぼれ話が、インターネットに書き込まれていました。
 「今日唐櫃港で目撃した話…土庄行きへ乗る人が、間違えて宇野行きに乗ってしまいました。離岸して方向転換してるとこで気づいたようで、そのまままたくるりと回って戻り、そのお客さんを降ろしているではないですか!船の係の人も嫌な顔するどころか『よかったなあ!』と笑ってます。面食らっている次の土庄行き待ちの私達に、島のおじさんが『これが小豆島航路やで!』と声を上げて、みんなどっと笑って、その場はとても和やかな空気になりました。次に入港する船が沖に停って待っていて、行き違う船同士が警笛で挨拶しあっている光景にもなんだか和みました」(※)
 こんなところに、この芸術祭の成功の要因の一部があったように思えます。総合ディレクターの北川フラムさんも、ブログに「約4年、私はありがたい『海のフラム』でありました。そして少しは宮本常一先生の、『忘れられた日本人』の世界を垣間見れたような気がします」と書いています。
 「懐かしい未来」という、大貫妙子さんが芸術祭の音楽イベントで歌ってくれた曲が印象深く残っています。私たちが失ったり、落としたりしてきたものを、未来へ探しに行こう、そして美しい地球を守ろうという歌です。瀬戸内海の美しさ、島の文化の豊かさ、そしてそこに生きる人々の優しさや笑顔などはまさに、私たちが「懐かしい未来」へ探しにいくべき大切なものなのです。この芸術祭は、その旅立ちの大きな契機となる出来事であったように思います。

参考:「忘れられた日本人」(宮本常一著 岩波文庫)
※「mixi」(ソーシャルネットワーキングサービス)の書き込みより引用。

●「まねぶ」ことの大切さ(11月1日号掲載分)

この夏、高松市美術館で、「森村泰昌モリエンナーレ/まねぶ美術史」なる、特に美術関係者の間で大きな話題となり、好評を博したユニークな展覧会が行われました。名画の登場人物や女優などに扮(ふん)した独自のセルフポートレートで国内外において高く評価され、注目されている美術家・森村泰昌さんが、学生時代から描き残しておいたマティス、クレー、デュシャン、岡本太郎、横尾忠則、赤瀬川原平など、20世紀美術史を駆け抜けた巨匠たちを「まねぶ」ことであらゆる表現の可能性を探求しようとして描いた習作の数々を、高松市美術館に所蔵する本人らの作品と対峙(たいじ)する形で展示したものです。キーワードは「まねぶ」ということ。「まねぶ」とは、「まなぶ」と「まねる」の共通の語源でもある古語だそうです。つまりは、「まねる」ことと「まなぶ」ことは、元々は同じ意味を持つ言葉とも言えます。
 書道でも、古典をひもとき、それを丁寧にまねて書く、臨書(りんしょ)という手法で繰り返して練習することを抜きに上達はあり得ません。今から約1700年前の書聖王義之(しょせいおうぎし)や約1200年前の空海(くうかい)などの名人たちの書の臨書を繰り返すことにより、次第に自分なりの書の型が出来ていき、作品が輝きを放つようになるのです。
 日本では、古くから学問や武芸の上達には、守破離(しゅはり)という3つの段階を心得て、それぞれに精進修行すべしということが言われていました。それは、能や歌舞伎の世界でも、茶の湯の世界でも同じで、およそ武芸を習い、極めようとする者の共通の認識だったようです。その意味するところ、「守(しゅ)は下手(へた)、破(は)は上手(じょうず)、離(り)は名人(めいじん)」、あるいは、「守って型に着く・破って型へ出る・離れて型を生む」、とする解説もあります。難しい概念ですが、師や名人と言われる人の型をまねて、まなびながら、着実に守破離と進むべきことが説かれているように思います。守破離の極意は、まさに「まねぶ」ことにある、と言ってもあながち間違いではないでしょう。
 森村さんも、「まねて、まなんで、今の私がここにいる(※)」と言い切られているように、「まねぶ」ことにより自分独自の型を見つけ出し、離(名人)へと発展されました。「まねぶ」という言葉とそれを実践することの大切さを再認識すべきです。

※「まねぶ美術史」(著:森村泰昌)

●「レオニーが遺したもの」(10月1日号掲載分)

 カリフォルニアの原野の丘の上で、生まれたばかりの幼子を母がしっかりと抱きしめているシーンを見るだけで、止めどもなく涙が溢れてきました。時は1904年(明治37年)。長じて20世紀を代表する彫刻家となるわが子を抱く母レオニー・ギルモアの母性愛に満ちた決意の固さと強さが、周囲の自然の美しさと一体となった見事な映像で描かれていました。8月下旬に高松で先行して完成披露試写会が行われた映画「レオニー」の一場面です。この映画は、監督の松井久子さんが、自身の前二作の応援団がいち早く結成された高松で、イサム・ノグチの母レオニー・ギルモアの半生を知り、構想から7年がかりで幾多の困難を乗り越えて完成させたものです。
 「僕の物語を書くとしたら、すべては父と母の生き方からはじめなければならない」とイサム・ノグチは言っています。伝記で「宿命の越境者」と名付けられたように、彼は母の国アメリカと父の国日本の狭間で、生まれながらにしてアイデンティティ上の苦悩を背負っていたのです。
 イサムの母、レオニーは、名門ブリンマー大学で、読書好きの抜群に成績優秀な女学生でした。卒業後、渡米していた若き詩人、野口米次郎と仕事を通じて恋に落ち、イサムを身ごもります。しかし、米次郎はイサムが生まれる前に帰国し、レオニーがイサムを連れて日本に来た時には既に別の女性と結婚していました。明治末期の日本という封建的な社会の中で、外国人でシングルマザー、そんな想像もつかないような過酷な境遇でレオニーは生きていかなくてはなりませんでした。
 レオニーが人生をかけて遺したもの。それは、東洋と西洋を超越し、「地球を彫刻する」ことを求めた巨匠イサム・ノグチです。生まれてすぐには名前も付けてもらえなかった「ヨー・ギルモア」を、強靭な意志を持ってアーティスト「イサム・ノグチ」に育てあげたのです。牟礼の庭園美術館や札幌のモエレ沼公園の中にいる時に感じる、母なる大地に抱かれているような心地良さは、レオニーの愛に繋がっているのかもしれません。

参考:「イサム・ノグチ 宿命の越境者」(ドウス昌代 講談社文庫)

●「アートでつながる・広がる」(9月1日号掲載分)

 瀬戸内国際芸術祭が始まりました。「アート」を切り口に瀬戸内海とそこに浮かぶ7つの島々の自然や人の営みの現状と課題を洗い出し、「海の復権」、「地域の活性化」につなげていこうとする壮大な企てを持ったお祭りです。ここでは「アート」は、鑑賞の客体であると同時に、人と人、人と地域、地域と世界の「つながり」と「広がり」を作っていく力を持つ触媒としての役割を期待されています。
 会場の一つであるハンセン病療養所「大島青松園」のある大島では、名古屋造形大学の「やさしい美術プロジェクト」が準備を進め、「GALLERY15」での展示や大島で採れる土で作った器でお茶や手作りのお菓子を楽しめる「カフェ・シヨル」のほか、ワークショップなど体験プログラムも用意された「つながりの家」が展開されています。長い間差別と強制隔離に耐えてきた入所者たちが、アートを通してより多くの人と交流し、社会とつながりを持てるようにとの試みです。100人余りの入所者の平均年齢が約80歳となった国立療養所と白砂青松の美しい大島の将来を、皆で考えていくきっかけになってほしいと願っています。
 また、本市では、芸術祭の開催を契機として、全国的にも珍しい、「芸術士」を保育所に派遣して子どもたちに芸術に直接触れる機会を提供し、感性や創造力の育成を図ろうとする事業を昨年の11月から始めています。芸術士が分担して市内28の公私立保育所に赴いて、子どもたちと一緒に創作活動を行っています。現場では若干の戸惑いはあるようですが、「芸術士ならではの感性と芸術性が感じられ、子どもたちは大好きだ」などの声が寄せられており、おおむね好評で、活動は徐々に軌道に乗ってきているようです。高松市美術館では、8月31日から9月5日までの間、芸術士と一緒に制作した子どもたちの
作品展を開催しています。加えて、8月29日までサンポート高松において、障がい者のアートの祭典「瀬戸内ハート・アートフェスティバル」も開かれていたところです。
 アートのつながる力、広がる力により、幼児や障がい者、高齢者などの福祉が増進し、新しい創造が生まれ、地域の大きな活力となっていくのではないか、と今後の展開を期待しています。

●「日記の効用」(8月1日号掲載分)

 さあ、夏休みです。夏休みといえば、旅行、キャンプ、海水浴やラジオ体操、昆虫採集などとともに、どうしても思い出すのが嫌な宿題。中でも絵日記に私は苦い思い出があります。絵は下手で苦手だし、そもそも日記に何を書いたらいいか分からない、と勝手に決め付けていたところがあり、いつも最後にまとめて適当に仕上げて出しておくという感じでした。そんなこともあってでしょうか、私は40歳過ぎまでずっと日記を書くという習慣を持っていませんでした。周りには、「中学生の頃からずっとつけている」という人もいて、勧められたこともありましたが、生来の不精癖か、毎日日記をつけるなんてことは自分にはできないものと思っていました。
 それがどうしたことか、平成15年の年の暮れ、ふと立ち寄った書店で見つけた日記帳を購入し、平成16年の元旦から書き始めると、それ以来一日も欠かさず今日まで続いています。書き終えた日記帳はすでに6冊を数え、7冊目の半分が過ぎたところです。
 よく、日記の効用ということが言われますが、実践してみるとそれは実感できます。まず、毎日寝る前とか、朝起きてからとか、一日の決まった時間に日記を書く習慣をつけることで、生活が規則正しくなります。私は、起床後、たいていは散歩から帰宅しシャワーを浴びた後、朝食前に前日の日記をつけることにしていますが、これを長い間続けていると、朝起きて顔を洗うのと日記をつけるのが同じような感覚で行えるようになりました。また、日記を書くということは、その日にあったことを頭の中でおさらいするという行為を伴います。朝起きてから夜寝るまでを自分の脳の中に順番に思い出しながら追体験をしていくことができるのです。さらに、手書きをすることで、言いまわしや漢字がちゃんと思い出せて書けるかどうか復習できます。それだけで、はやりの脳トレなどと同等以上の老化防止効果があるように思います。
 継続は力なり。日記の効用を発揮するにも、毎日欠かさず続けるということが大事です。今の私なら、絵日記の宿題も喜んで取り組み、吉田拓郎のように、「♪絵日記つけてた夏休み」と気軽に歌うこともできるかもしれません。

●「高松的スローライフの魅力」(7月1日号掲載分)

 先ごろ、ある若者向け雑誌の「魅力ある地方都市ランキング50」という特集(※)で、高松市が第7位にランクインしていました。ちなみに、第1位は福岡市で、以下、京都市、札幌市、奈良市、那覇市、金沢市ときて高松市が第7位です。少し驚くくらいの高い評価ですが、その寸評には、「アートシティが定着。うどんツアーとのギャップで幅広い層を獲得」とありました。高松におけるアートとうどんという2つの魅力的なアイテムが高い評価を受けたのです。
 スローライフという言葉を聞いたことがあると思います。北イタリアで起こった地元食材を使った豊かな食生活を実現しようとするスローフード運動の精神を生活全般に拡大し、新しい時代の人生の過ごし方を提案しようとするものです。スローライフ学会会長の増田寛也さんは、岩手県知事時代に「がんばらない宣言 いわて」という特集広告を全国紙に出し、岩手県の魅力をアピールしていました。経済成長や効率性ばかりを求めてがんばる生き方は、地方には合わない、東京のまねをしても地方は良くならない、「がんばらない」方が、地方の良さは発揮できるのだ、という逆説的に真実をついた主張は、新鮮でした。
 「がんばらない」スローライフ的な生き方、つまり「地域の自然・歴史・伝統・文化を大切にして暮らすこと」や、「感性を磨き、みずみずしい人間関係を大事にしながら生活すること」に価値観を置く生き方を実践できるまちづくりが、これからの地方都市には求められているように思います。そしてそれが、旅したい、働きたい、住みたい魅力ある地方都市の評価につながっていくのだと思います。
 アートシティ高松の魅力を飛躍的に増大させるであろう瀬戸内国際芸術祭2010が、いよいよ開幕します。その連携事業として、7月31日には、アートと自転車をテーマに、スローライフ・シンポジウムもサンポート高松で開催される予定です。
 この機会に、市民の皆さまをはじめ多くの人が、船や自転車でアートや街を巡り、音楽イベントなどを楽しみ、うどんや郷土料理を食べて、他にはない「高松的スローライフ」ともいうべき魅力ある生き方を発見していただけると幸いです。
※BRUTUS 2010年3月15日号 

●「めおん」と芸術祭(6月1日号掲載分)

 「めおん」は、高松港と女木島、男木島を結ぶフェリーの名前です。女木島と男木島→女と男→雌(めん)と雄(おん)→めおん、です。赤と白で塗られた、小柄で可愛い船体のこのフェリーをテーマとした映画「めおん」がこのほど完成し、高松で先行ロードショーが行われました。映画の舞台は当然、瀬戸内海に浮かぶ女木島と男木島、それと高松。美しい景色と島に住む人たちの温かさ、それに子どもの純粋さとその存在のありがたさを背景に、男女の愛情の機微を3つの物語に仕立てています。
 この舞台では、いよいよ7月19日の海の日から「瀬戸内国際芸術祭2010」が開催されます。「海の復権」をテーマとしたこの芸術祭は、瀬戸内海の島々にアートが関わることによって、住民、特に島のお年寄りたちを元気にしたいという願いも込められています。それは、映画「めおん」が伝えたいものとも重なります。
 島では着々と芸術祭の準備が進められています。中でも、スペインを代表する芸術家ジャウメ・プレンサ氏デザインの男木交流館の建築がいよいよ最終盤を迎え、わくわくした気分が高まってきています。アート作品が施設を包むというユニークなこの館は、間違いなく来訪者の大きな注目を集め、地域のランドマークとなることでしょう。その他、女木島には世界のギャラリーが入る福武ハウスも含め9組、男木島には16組のアーティストやプロジェクトが入り、作品を展開する予定です。
 「女木島がニューヨークにあれば、地価が一番高いのではないか」、という話を聞いたことがあります。高松の中心部への通勤や通学が十分可能な近距離にありながら、喧騒や雑踏から無縁で、山と海が至近で環境は抜群、欧米人なら富裕層が競って自宅や別荘を建てるのではないか、ということでした。一挙にそんな劇的な変化は起こりようもありませんが、この芸術祭は、大島も含めて、女木島、男木島という高松市の離島の未来を新たな局面で切り拓いてくれそうな気がしています。
 芸術祭期間中、増便され、フル稼働となるフェリー「めおん」が数多くの人を運び、その心と心を繋ぎ、映画の3つの物語に続く新しい物語を次々と生み出してくれることを、期待したいと思います。

●「過去の延長線上に未来はない」(5月1日号掲載分)

 「過去の延長線上に未来はない」と言い切る、この刺激的な言葉と私が出会ったのは、もう20年も前になります。この言葉がキーワードとなっている「ブレイクスルー思考」というものを上司から教えてもらい、それ以来、アイデアを発想する時や問題解決のための判断の際に参考にさせてもらっています。
 小説「坂の上の雲」の中で、旅順の攻防戦に手を焼く乃木軍に対して、児玉源太郎総参謀長は次のように言います。「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない。」局面打開のためには、過去に拘泥することなく、思い切った戦術変更をすべき事を説いたのです。
 ましてや、国際化や情報化が著しく進展し、変化の激しい現代では、過去や現状を分析して、解決策を決めていく、従来の思考法だけでは、多くの問題に的確に対処することが困難となっています。また、現代は、何が起こっても不思議ではなく、未来が予測しづらいという意味でも「過去の延長線上に未来はない」ことは、私たちの実感であり、困惑の要因となっています。そこで、明るい未来を創造するためには、従来の原因分析的な「デカルト思考」から脱皮して「ブレイクスルー思考」を実践すべしと、この思考法を勧める論者は説いています。(※)
 「ブレイクスルー」というのは、日本語にすると「突破」という意味ですが、この思考法の最大の特徴は、問題解決にあたって物事の本質、根本を見定めて、未来志向でどうあるべきかを問い、そこから解決策を見出していくことにあります。問題の原因を分析によって見つけ出し、解決しようとする従来の思考方法が「犯人探し型」であるとすれば、「ブレイクスルー思考」は未来の「恋人探し型」と言えるかもしれません。
 「目的展開の原則」、「未来から学ぶ『あるべき姿』の原則」、「参画・巻き込みの原則」など7つの原則を持つ「ブレイクスルー思考」は、高松市のまちづくりを効果的に推進していくのにも、大きな効用があるのではないか、と期待しています。「あすの専門家」たらん、と改革を継続し、過去の延長線上にない明るい高松を創出してまいりたいと思います。
※「ブレイクスルー思考のすすめ」
 (日比野創 他 丸善ライブラリー)

●「新しい小学校の誕生」(4月1日号掲載分)

 平年並みであれば桜が満開となる頃、来る4月6日に高松市に新しい小学校が2校誕生します。高松第一小学校と新番丁小学校です。
 高松第一小学校は、松島小学校、築地小学校及び新塩屋町小学校が統合してできる学校で、一足早く開校した高松第一中学校と併せて、県下初の小中一貫教育の学校として生まれ変わります。校舎も小学校と中学校とが合体された形で整備され、ぜいたくと思えるほど、広々と明るい作りとなっています。
 新番丁小学校は、日新小学校、二番丁小学校及び四番丁小学校が統合してできる学校です。こちらの校舎は、シンボルとなる時計台を持ち、特に安全面と環境面に配慮した設計となっており、中庭を中心に置いたボックス型の校舎の四隅はすべてガラス張りの階段室で、明るく、どの場所からも二方向へ分散避難できるようになっています。
 もちろん、優れた特徴は、ハード面だけではありません。教育の中身(ソフト)についても、さまざまな工夫が施(ほどこ)されようとしています。
 高松第一小学校は、小中一貫9年間のうちの六年生までを受け持つことになります。そして、4年・3年・2年で区分してカリキュラム編成をして、五年生から一部教科担任制を導入することとしています。
 新番丁小学校では、学校と保護者・地域が互いに共同して子どもたちにとってより良い学校教育ができるようにサポートする組織を作り、地域や保護者が参画と支援をしながら確かな学力の育成や特色ある教育課程を実現していく予定です。
 私たちが決して忘れてはならないのは、この二つの小学校の誕生の裏には、市の中心部の歴史と伝統のある六つの小学校の閉校という、卒業生や地域の人たちにとって、哀惜の念を禁じ得ないであろう出来事が存在していることです。それでも子どもたちの将来のためにと、地域・保護者の代表が「新しい学校づくり協議会」に長年、無償で参加され、多くの関係者が真剣な議論を重ねて、統合校の整備に取り組んでいただきました。その思いに報いる意味でも、両校が良いスタートを切り、近い将来、名声が、市内外に響きわたるような学校となることを願っています。

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