平成21年度

●「ピアノコンクールに寄せて」(3月1日号掲載分)

 ピアノは、不思議な楽器です。打楽器でもあり、弦楽器でもあり、鍵盤楽器でもあります。音域は楽器の中で最大の幅を持っていますし、豊かな音量と表現力により、ピアノだけでオーケストラ的な音楽表現も可能となる、楽器の中の王様とも言われる存在です。
 ピアノは、私の一番好きな楽器でもあります。私とピアノとの出会いは、小学校4年生の時。アップライトのピアノが我が家に登場したのに合わせて「バイエル」を教わり始めた時からだと記憶しています。その後、「バイエル」を一通り終え、「ツェルニー」と「ソナチネ」を少しかじりかけた小学校6年生の時に、ピアノの稽(けい)古をやめてしまいました。今から考えれば、あのままずっと続けていれば、と残念に思いますが、ピアノを習っていたおかげで、譜面が読めるようになったことと、ピアノの練習を通して、音楽というものに触れ、趣味としてずっと楽しめる基礎ができていたことは本当に良かったと思っています。
 その、ピアノという素晴らしい楽器を題材にして、高松の街と文化を全世界に発信しようとする国際的イベント、「第2回高松国際ピアノコンクール」がいよいよ3月17日にサンポート高松で開幕します。今回も26の国と地域から総数243人の応募があり、予備審査で選ばれた40人(日本人14人・外国人26人)の新進気鋭のピアニストが世界中から高松の地に集結し、その技量と芸術性を競い合いながら、素晴らしい演奏を私たちに聴かせてくれるものと、期待が高まっています。
 今年は、ピアノの詩人・ショパンの生誕200周年の記念の年でもあります。10月には、5年に一度開催され、最も歴史が古く、権威があるといわれている「第16回ショパン国際ピアノコンクール」がワルシャワで開かれます。その意味でも今年は、世界的にピアノという楽器やその音楽演奏に注目が集まり、大きな話題を呼ぶことが予想されています。高松国際ピアノコンクールはその盛り上げ役としても、一役買うことになるでしょう。本当に楽しみです。
 ピアノという鍵盤楽器がまさしくキー(鍵)となり、高松の新しい芸術文化のステージの扉を開いてくれることを期待したいと思います。

●「このまちの「自治」のかたち」(2月1日号掲載分)

 昨年末の12月市議会において、これからの高松市のまちづくりの基本となる「高松市自治基本条例」が全会一致で可決成立し、市制施行120周年の記念日である、この2月15日から施行されることになりました。この条例では、本市の条例としては初めて、日本国憲法にあるような前文をおいて、条例制定の趣旨や目指すべきものを謳(うた)っています。その最後の部分は次のとおりです。
 「私たちはここに、自治の基本理念を共有し、地域の個性や自立性を尊重した活力のあるまちをつくるとともに、心豊かな文化のかおりあふれる市民主体のまちづくりを推進するため、高松市自治基本条例を制定します。」
 この条例では、高松市の自治運営の基本原則を「情報共有」「参画」「協働」の3点に求め、市民、議会、執行機関のそれぞれの役割と責務を明らかにしました。その上で、大きな特徴として、コミュニティを軸としたまちづくりを進めるために、地域コミュニティ協議会を条例上、明確に位置付けています。
 「日本の都市を無気味な不安に落し入れている社会的病理現象の根因は、(中略)コミュニティの崩壊である」(※)、とも言われています。特に、本市のように人口が相当規模にのぼり、最近、複数町との合併を経験した都市にとっては、都市内分権によるコミュニティの再生と充実が急務の課題となっているのです。「戦前日本の農本主義者達は「自治」を、「自(おの)ずから治まる」と読ませた」(※)ほど、農村では、共同体的人間の絆(きずな)が強固に存在していました。都市社会では、共同体的人間関係が希薄になり、そこから生じる問題を解決するための都市政治(=自治)というものが、なおさら重要となってくるのです。そして本市では、その自治の軸を地域コミュニティ協議会を主体とした施策に求めたいと考えています。
 高松市自治基本条例に魂を入れていくのはこれからです。二度目の還暦を機に原点に返り、情報共有と参画と協働の三原則にのっとり、本市の自治のかたちをしっかりと整えてまいりたいと思います。
(※) 「ポスト工業化時代の都市ガバナンス−その政治経済学− 神野直彦」(岩波講座・都市の再生を考える2)

●「高松市誕生120周年(大還暦は青でお祝い)」(1月1日号掲載分)

 新年明けましておめでとうございます。
 今年2010年(平成22年は)は、我が高松市が1890年(明治23年)2月15日に全国40番目の市として産声を上げてから、ちょうど120周年の記念の年です。今年の干支(えと)は、庚寅(かのえとら)ですから、120年前も同じく庚寅。高松市は、寅年(とらどし)生まれであります。誕生時の高松市の区域は、ほぼ当時、香川郡「高松」と呼ばれていた地域で、面積は、わずか2.85平方キロメートル、人口は3万3863人でした。
 明治政府による市制・町村制の施行は、1889年4月1日ですが、実際は、各県における合併の状況などを見て順次実施に移されており、香川県における高松市の市制と5町176村の町村制の施行は、10か月半遅れることになります。これは、直前まで香川県は愛媛県に併合されていて、分県独立したのが、1888年12月であり、県の指導体制が十分に整わず、町村合併が遅れたことが主な原因のようです。
 それから120年。その歩みを一言で概括することはできませんが、昭和の時代までに隣接町村との6回の合併を経て、平成11年4月からは、県から保健所などの行政サービスの権限を譲り受け、中核市となりました。そして、平成17年度に近隣6町と合併し、人口42万人を擁する四国の、また、環瀬戸内海圏における中枢都市の一つとして、着実に発展をしてきています。
 そんな高松市が二度目の還暦、言わば大還暦を迎える今年、それをお祝いするかのように、2つの大きな国際的イベントが高松市を中心に開催されます。「第2回高松国際ピアノコンクール」と「瀬戸内国際芸術祭2010」です。併せて、宇高航路100周年を記念した船のイベントも企画されています。これらのイベント、いずれもシンボルカラーは、青色です。還暦には、振り出し(赤子)に戻る意味で赤いちゃんちゃんこを贈ってお祝いする風習がありますが、本市の大還暦は、さわやかな海と空をイメージさせる青を基調に出してお祝いしたいと思います。

●「師走からの連想(陽水と蕪村)」(12月1日号掲載分)

 旧暦の十二月は、「師走(しわす)」と呼ばれます。その語源には、いろいろな説があるようですが、年末に祖先の霊を弔う習慣があり、お坊さん(師)が走り回っていたことから「師馳(しは)せ月(つき)」が転じたとする説が有力なようです。私の小さい頃は、年末で仕事の清算や年越しの準備のために、いつもは落ち着き払っている師匠や学校の先生も走り回るからそう呼ぶのだ、と聞いていましたが、それは俗説のようです。いずれにしても、年末で、師と呼ばれる人を含めて皆が東奔西走するような慌ただしさを感じる月であることは、間違いないでしょう。
 ところで、「東奔西走する月」と聞くと、私の頭にはすぐに井上陽水の「東へ西へ」という歌が浮かびます。前にも書きましたが、私が中学校2年の時に初めて行ったのが、陽水のコンサートでした。そこで生ギター一本の弾き語りで聴いた「東へ西へ」は、今でも当時の衝撃とともによく耳の奥で鳴り響きます。さびの部分の「ガンバレ みんなガンバレ 月は流れて東へ西へ」というフレーズは、時々に私の気持ちを奮い立たせてくれる応援歌でもあります。
 「東へ西へ」とくれば、与謝蕪村の名句「菜の花や月は東に日は西に」が思い浮かびます。しかし、これは春の句で、季節はずれです。蕪村の冬の句として、彼が讃岐路を旅していた時に、香東川の渡し場で詠んだ句をご紹介しておきます。
 「炬燵(こたつ)出(で)て早あしもとの野河(のがは)かな」
 この句の前書きに、讃州高松の「あるじ夫妻の隔(へだ)てなきこころざしのうれしさに…」とあります。炬燵に見立てられた、お接待の心の温かさが伝わってくるようです。蕪村は讃岐を気に入っていたようで、特に明和3年(1766年)からの2年間は、蕪村の讃岐時代とも言われているそうです。讃岐野の師走を、蕪村はどんな風に過ごしていたのでしょう。
 20年前にヒットした陽水の「最後のニュース」という曲は、「闇に沈む月の裏の顔をあばき青い砂や石をどこへ運び去ったの」という、これまた月が出てくる不思議な詩で始まります。師走という月が穏やかに過ぎ、今年の高松における「最後のニュース」が、明るい話題であることを願いたいと思います。

●「身近なグリーン・ニューディール」(11月1日号掲載分)

 アメリカのオバマ大統領は、就任直後からグリーン・ニューディールを提唱しています。これは、1929年に始まった大恐慌を克服するために、ルーズベルト大統領が行った一連の経済政策(ニューディール)になぞらえて打ち出された、再生可能エネルギーへの大型投資などを根幹とする環境重視の経済政策です。
 二十世紀を通じて進められた工業化と都市化の流れは、化石燃料の大量消費や熱帯雨林の伐採などによる発展過程であり、それによる温室効果ガスの増加が、地球温暖化の主因と言われています。新しい世紀は、その流れを止め、逆転させる発想と行動が求められているのです。
 高松市でも、太陽光などの再生可能エネルギーの普及促進や過度に自動車に依存しないまちづくりの推進など、本来的な低炭素社会の構築に向けた取り組みを進めています。それと同時に、市民が、気軽に地球環境問題を意識できるような事業、いわば「身近なグリーン・ニューディール」も広く展開して行きたいと思っています。例えば、中央公園の「芝生化大作戦」や、市内保育所などの「緑のカーテンづくり事業」です。
 芝生化大作戦では、高松のシンボルでもある中央公園を緑豊かな元の姿に戻そうと、6月に千人近い市民の皆様に参加いただいて、芝生の植え付けをし、今では青々とした広場がよみがえりました。また、緑のカーテンづくり事業では、ヘチマやきゅうり、ゴーヤなど、つる性植物の苗を窓際に植え付け、生育すれば緑が日差しを遮り、蒸散作用も相まって部屋の温度を下げて涼しさをもたらし、生きた環境教育となりました。その上、きゅうりやゴーヤを収穫して子どもたちが自ら料理して味わい、食育の面でも大きな役割を果たしたとの報告が、子どもたちの元気な笑顔とともに届いています。
 家庭という字は、ハウス(家)・アンド・ガーデン(庭)で成り立っています。また、どんな都市も農村の存在なくしては生き延びていけません。地球環境のためだけでなく、私たちが人間性を回復し、家庭を温かく充実し、都市と農村が共存していくためにも、今こそ身近なところから、緑の新規まき直し(グリーン・ニューディール)が必要だと考えています。

●「大地の芸術祭(新潟)見聞録」(10月1日号掲載分)

 8月中旬、「大地の芸術祭 越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレ2009」に行って来ました。2000年に始まり、3年ごとに開催されているイベントで、今回で4回目となります。来年7月19日から約100日間開催される、瀬戸内国際芸術祭の先行モデルとなるものです。
 祭りの舞台は、新潟県十日町市と津南町にまたがる760平方キロメートルの大地。長流・信濃川と日本最大規模の河岸段丘、そして日本の原風景とも言える里山と棚田など、カンバスである自然自体も芸術的です。そして、ここは、日本一おいしいと言われるコシヒカリの産地であり、強烈な造形美を持つ縄文火焔(かえん)土器が数多く出土しているところです。
 そんな舞台の上に地域と都市、アーティストと里山、若者とお年寄りの交流と協働の中から生まれた約370点ものアート作品が展開され、過疎化に悩む中山間地域が、都会から来た若者や家族連れを中心に大勢の見物客でにぎわっていました。
 一日半ほどをかけて約30のアート作品を見たり、体験して回りましたが、集落や田んぼ、空き家、廃校を直接利用した展示も多く、まさにアートで自然と地域と住民が一体化していました。
 例えば、3年前に廃校になった旧真田(さなだ)小学校は、絵本作家の田島征三さんに地元の鉢集落のお年寄りたちが山から木の実を集め、飾るなどして全面協力、最後の在校生ユウキ、ユカ、ケンタが主人公の「絵本と木の実の美術館」に生まれ変わっていました。
 総合ディレクターを務める北川フラムさんが、この芸術祭を発案されたときに、四国88ヶ所巡りをイメージしたという話を伺いました。「四国遍路」→「古寺巡礼」→「アート巡礼」とつながる一つの行動類型として、新しいムーブメントが出来つつあることも実感しました。
 そして来年。巡礼の聖地が高松と瀬戸内の島々に受け継がれていきます。芸術祭開催に向けて、まだまだ課題はありますが、本当に楽しみになってきました。
 成功への鍵は、島のお年寄りを中心とした、この瀬戸内地域に住む人々の参加と協働です。みなさんも、ご一緒にいかがですか。

●「日食に太陽と時代を想う」(9月1日号掲載分)

 世の中に無くてはならないものはいっぱいありますが、最も根源的なものは、太陽ではないでしょうか。その太陽が月の影に隠れてしまう皆既日食が7月22日、日本の陸地では46年ぶりに観察されました。天候が思わしくなく、がっかりされた人も多かったようですが、その時、地上はにわかに暗くなり、気温も下がり、夕方と勘違いしたヒグラシが鳴き、金星や水星の姿も見られたと、各地から報告がなされています。
 コペルニクスの予言を待つまでもなく、日食は、人類の歴史が始まる前から周期的に起こっていて、その記録は、日本でも古くから残されています。古事記などにある天岩戸(あまのいわと)神話も、皆既日食の現象を物語として表したものだとの説もあります。そして、明治44年に平塚雷鳥(らいてう)が発した、「元始、女性は実に太陽であった」との宣言は、天岩戸に隠れたアマテラスを例えたものと言われています。
 太陽は、日本の高度成長期という時代の象徴でもありました。高度成長期が始まったとされる昭和30年は、芥川賞を受賞した石原慎太郎(現東京都知事)の「太陽の季節」が発刊された年です。そして、昭和45年に開催された大阪万博のシンボル「太陽の塔」(岡本太郎作)で、明るい時代のイメージがまさに爆発し、ピークを迎えていました。
 また、この時期に流行した歌には、「手のひらを太陽に」(昭和37年)、「真赤な太陽」(昭和42年)、「太陽がくれた季節」(昭和47年)などがありますし、テレビでは人気ドラマ「太陽にほえろ!」が昭和47年から始まりました。
 前回の皆既日食は、そんな高度成長期の真只中の昭和38年7月でした。その時と比べると、今回は、100年に1度とも言われる不景気の最中であり、時代もあまり元気がありません。もちろん、ジョン・デンバーなどが歌ったように「Sunshine on my shoulders makes me happy」(肩に注ぐ太陽の輝きは、私を幸せにしてくれる)で、太陽のありがたさは、いつの時代も変わりませんが、次回皆既日食が見られる、2035年9月には、時代そのものも、明るくまぶしいくらいに輝いてくれていることを願っています。

●「楽」しく「子」そだて(たかまつらっこ)(8月1日号掲載分)

 「らっこ」は千島列島やアラスカなどの北方の冷たい海で住んでいる珍獣です。小さいころ、「いたずらラッコのロッコ」(注)という絵本を読み、海草にくるまり、海にぷかぷか寝て、おなかの上に乗せた石で器用に貝を割って食べるという、不思議で愛くるしい「らっこ」という動物に魅せられたことを思い出します。そんな「らっこ」の親子がこの温暖な気候の高松でも、いきいきと活躍しています。ただし、海の中ではありません。
 本市の子育てハンドブック「たかまつらっこ」と子育て情報サイト「らっこネット」は、市が募集した協働事業として、NPO法人わははネット(中橋恵美子理事長)の企画、協力により展開しているものです。このネーミングは、「『楽』しく『子』そだて」の漢字の読みを、子育てに熱心な動物としても知られる「らっこ」に当てはめたものです。キャッチーなコピーと「らっこ」の可愛いイラストだけで、楽しい気分になりますが、内容も、不妊の悩み相談窓口を紹介する「らっこな子育ての第一歩」から「生まれたよ」などを経て、「仲間を作ろう」、「本に親しもう」という案内まで、実に盛りだくさんです。子育てに関する行政サービスの紹介はもちろん、パパ・ママコラムや子育てママが取材したおすすめの遊び場など、子育てに役立つ情報が満載で、使い勝手も良いものになっています。
 このような「たかまつらっこ」ですから、サービス開始当初から利用者にも好評を博していましたし、喜ばしいことに、平成21年の全国広報コンクールの広報企画部門で唯一の読売新聞社賞を獲得しました。
 また、「たかまつらっこ」の展開を含んだ本市の子育て環境については、このほど、全国展開のNPO法人が実施した「子育て環境ランキング」において、主要51都市中2位となり、『優秀環境賞』を受賞しました。
 本市の子育て支援の取り組みが、各方面から高い評価を得たことを励みとして、今後とも「子育てするなら高松が一番」と言われるように、施策の充実に努めていきたいと思います。
(注)「いたずらラッコのロッコ」
(神沢 利子(作) 長 新太(絵)・あかね書房)

(たかまつ子育て情報サイト らっこネット http://takamatsu-rakko.net/)

●「まちうた」に「HOPE」(希望)をのせて(7月1日号掲載分)

 2年前に世に出た「まちうた」第一弾のCDの帯には、次のようにその趣旨が記されています。
 「まちにはさまざまな表情がある。恋ややさしさや、季節や時間。わたしたちはあなたに伝えたいと思っている。高松ってけっこういいまちなんだよと。聞いてほしい、感じてほしい、そしてできれば歌ってほしい。このまちの歌を…」
 「まちうた」とは、高松を舞台にしたポップでおしゃれなまちの歌を作ろうという、NPO法人アーツカウンシル高松の企画に市が助成して始まったプロジェクトです。音楽のジャンルを変えながら、毎年一枚ずつのCDを作成してきていて、第一弾が女性ボーカルのポピュラー曲による「スケッチ・オブ・Tシティ」。昨年の第二弾は、総勢10組の公募アマチュアロックバンドによる「ロック・オブ・Tシティ」。そして、今回発売された第三弾が、地元の誇るアマチュアジャズバンド、SWJO(スウィンギン・ワンダーランド・ジャズ・オーケストラ)による「ジャズ・オブ・Tシティ」です。
 以前、「音楽の力」でまちが元気になれば、音楽好きとしてこんなにうれしいことはない、と書いたことがありましたが、高松の音楽による活性化潜在能力は、私の想像をはるかに超えていたようです。この「まちうた」のCD三部作のいずれもが、楽曲・演奏とも相当に高いレベルで、音楽を十分に堪能できます。
 また、5月に行われたサンポートホール高松開館5周年記念、世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」の公演は、ほとんど地元だけで構成されたメンバーで、これほど水準の高い総合舞台芸術が作り上げられるものかと驚嘆し、大きな感動を味わいました。
 「ジャズ・オブ・Tシティ」の中に、SWJOと親交があり、何度も共演している世界的ジャズピアニスト穐吉(あきよし)敏子さんの名曲「HOPE」が収められています。その曲の冒頭で、トロンボーンの重厚なハーモニーに乗せて読まれるメッセージを最後に記しておきます。
 「私たちには夢があります。生まれ育ったこの高松から未来に向け、音楽を通して世界の人たちと感動と笑顔を分かち合いたい。それが私たちの願いです」

●「光陰矢のごとし…」(6月1日号掲載分)

 いつの時代も同じでしょうが、後から振り返ってみると月日の経つのは本当に早いもの。「光(日)陰(月)矢のごとし」、とはよく言ったものです。
 この5月で私が高松市長に就任してはや2年となり、任期の折り返し点を迎えました。また、今年の誕生日で私は50歳。百歳のちょうど半分です。そこまで生きられる自信はありませんが、人生の折り返し点と言えなくもありません。
 50歳といえば、織田信長が好んだという幸若舞(こうわかまい)の「敦盛(あつもり)」に、「人間50年、下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり(人間界の50年は、天空界では夢幻(一昼夜程度)に過ぎない)」と続く有名な一節があります。信長自身はこれを積極的にとらえ、死を恐れずに思う存分生きようと、自らを鼓舞していたとのことですが、くしくも彼が本能寺の変(1582年)で自害したのは49歳の時でした。
 「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」の句を最後に、1694年、50歳で亡くなったのは、松尾芭蕉です。代表作「奥の細道」は、「月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行(ゆき)かふ年も又旅人也」で始まり、自らと永遠の旅人である「時」を同化させています。そして、九州への旅の途中に倒れるまで、まさに、時間と自然と一体となって旅に生きた、見事な人生でした。
 信長や芭蕉らの約50年の人生模様を見せつけられると、時間の長さは同じでも、これほどまでに密度の濃い充実した人生の足跡を残せるものかと、驚嘆せざるを得ません。とてもまねはできないとしても、私自身、論語にいう「知命」の歳を迎えるにあたり、これまで以上に使命感を持って、できるだけ「良く生きる」ことは心掛けていきたいと思っています。
 約2000年前の紀元前後に生きた帝政ローマの政治家セネカは「時間の主人」となれない「多忙な人にかぎって…良く生きることが最も稀(まれ)である」とし、「人生は使い方を知れば長い」と説いています。「時」を大切にして、常に良く生きることを学ぶべきということでしょうか。「一寸の光陰軽んずべからず(わずかの時間でもおろそかにしてはならない)」{朱熹(しゅき)}と、肝に銘じておきたいと思います。
【参考】「人生の短さについて 他二篇」
            セネカ著(岩波文庫)

●「グローカル」ということ(5月1日号掲載分)

 アメリカの金融危機に端を発した不況があっという間に全世界に及び、日本の景気はもとより、地域や家庭にまで影響を及ぼしているのを見ても、グローバル化の波は、確実に地方の末端まで押し寄せてきています。同時に、地方分権改革も進行しています。硬い言い方になりますが、グローバル化を背景として、国民国家の役割が変化し、地方自治体の役割が大きくなると同時に、従来の行政システムに代わって多様な主体によるガバナンス(統治)が重視されるようになってきているのです。
 そこで、「グローカル」です。この言葉は、「地球規模(グローバル)で考え、地域(ローカル)に根ざして行動すること」を一つの言葉で表した造語ですが、もともとは、一村一品運動で有名な平松前大分県知事が言い出されたものです。高松市がこれから、時代に即応した行政サービスの展開やまちづくりを進めていく上でも、この「グローカル」という視点が、ますます重要となってくるのは間違いありません。
 地域活性化のために、イベントを仕掛ける場合にも、「グローカル」は有効です。ちょうど、市制施行120周年に当たる来年には、「第2回高松国際ピアノコンクール」と「瀬戸内国際芸術祭」という二つの大きな国際イベントが本市を中心に開催されることになっています。また、再来年には、日本では初めての開催となる「アジア太平洋盆栽水石大会」の誘致を目指して関係者が活動を行っています。
 「ピアノ」は、世帯保有率の高さと多くの音楽家を輩出した土地柄など、「現代アート」は直島への玄関口としての地の利とイサム・ノグチの縁、高松市美術館など、「盆栽(フランスでも「ボンサイ」で通じるほどの国際語です)」は、鬼無と国分寺で松盆栽の全国八割のシェアを誇る圧倒的な生産高と、それぞれ道具立ては違いますが、いずれも高松の特徴的な地域資源を題材として国際的な舞台を設定し、世界に向けて情報発信をしようとするものです。開催に向けて、大いに盛り上げていきたいと思います。
 これからも、常に「グローカル」ということを念頭に置き、多文化共生のまちづくりを推進してまいります。

●「美しいまちづくり」(4月1日号掲載分)

 高松市は、風光明媚(めいび)な美観都市と紹介されることもあります。実際、瀬戸内海や屋島の自然景観の美しさは、他の何物にも比肩(ひけん)しがたく、国の特別名勝である栗林公園の庭園美は、専門家の評価も高く、日本一だと言う人もいます。
 また、サンポート地区と中央通り沿いの街並みは整えられていて、一斉清掃のおかげで、ごみがほとんど落ちていない清潔さも相まって、訪れた人から「きれいな街ですね」、とのお褒めの言葉をいただくことが多々あります。さらに、郊外には、独特の形をした里山が点在し、箱庭のような田園風景は、眺める者の心を和ませてくれます。
 一方で、牟礼にアトリエを構えていたイサム・ノグチは、空港からアトリエまでの車中では、窓の外の景色を見たくないとばかりに、ずっと目をつむっていたとの話を聞いたことがあります。また、栗林公園の樹木の上後方に見えるマンションやビルの壁面、広告物を見て、なぜ規制しないのか、と抗議する外国人も多いと聞きました。
 このような声を受け、まず、栗林公園周辺の新規大規模建築物について、昨年三月から、公園内の十一の眺望地点から見えないような位置、又は規模とする、などとした景観誘導策を実施し、規制を強化しています。そして、新しい景観法の趣旨に基づいた、より強制力を持った規制のあり方を検討し、環境美化の観点を含めた「高松市美しいまちづくり条例(仮称)」の制定に向けた取り組みを進めているところです。
 「都市の美醜(びしゅう)は市民の心」。
 昭和初期に、東京の桜田門外の警視庁新庁舎の望楼(ぼうろう)が都市の景観を害すると、その高度を引き下げさせた市民団体である「都市美協会」が市民から募集した標語の一つです。市民が「まち」を意識し、それを良くしようという気持ちを持たない限り、美しい都市景観ができるはずがない(※)、ということです。
 私たちが住む、高松市を良くしようと思うこと。そこから美しいまちづくりは始まります。
※「まちづくりと景観」田村明/著(岩波新書)

↑このページの上へ