歴代城主

 生駒氏4代、松平氏11代の城主がいました。生駒氏は美濃国可児郡土田の出身で、親正は織田信長や豊臣秀吉に仕え、讃岐一国を与えられました。4代高俊の代に生駒騒動と呼ばれる家臣団同士の争いが起こり、領地は没収され、堪忍料として出羽国矢島1万石が与えられました。その後、東讃12万石の領主として高松に入部した松平頼重は水戸光圀(黄門)の兄です。兄を差し置いて水戸家を継いだ光圀は、頼重の子綱條(つなえだ)を水戸家の後継とし、実子頼常を高松松平家の後継としました。その後も何度か水戸家との間で養子縁組が行われています。

歴代城主一覧表
歴代  城主  生没年 城主期間 主な事跡
生駒親正(ちかまさ) 大永6年(1526)〜慶長8年(1603) 天正15年(1587)〜慶長6年(1601) 信長・秀吉に仕える。三中老の一人ともいわれる。関ヶ原の戦いでは西軍に参加。
生駒一正(かずまさ) 弘治元年(1555)〜慶長15年(1610) 慶長6年(1601)〜慶長15年(1610) 父とともに、各地を転戦する。関ヶ原の戦いでは東軍に参加。讃岐一国を安堵される。
生駒正俊(まさとし) 天正14年(1586)〜元和7年(1621) 慶長15年(1610)〜元和7年(1621) 大坂冬の陣・夏の陣に参加。大坂城の普請にも参加。
生駒高俊(たかとし) 慶長16年(1611)〜万治2年(1659) 元和7年(1621)〜寛永17年(1640) 客臣西嶋八兵衛が領内に多くの溜池を造る。生駒騒動により出羽矢島1万石に転封。
松平頼重(よりしげ) 元和8年(1622)〜元禄8年(1695) 寛永19年(1642)〜延宝元年(1673) 常陸下館より高松へ入部。高松城の大改修を行うなど、高松松平家200年の基礎を築く。
松平頼常(よりつね) 承応元年(1652)〜宝永元年(1704) 延宝元年(1673)〜宝永元年(1704) 頼重の大改修を引き継ぐ。財政を建て直し、学問を奨励。
松平頼豊(よりとよ) 延宝8年(1680)〜享保20年(1735) 宝永元年(1704)〜享保20年(1735) 在国中のほとんどを御林御殿(栗林公園)で過ごすも、地震・大火災など災害の頻発で藩財政窮乏。
松平頼桓(よりたけ) 享保5年(1720)〜元文4年(1739) 享保20年(1735)〜元文4年(1739) 藩士の減禄、倹約令など財政緊縮に努めるも、若くして没。
松平頼恭(よりたか) 正徳元年(1711)〜明和8年(1771) 元文4年(1739)〜明和8年(1771) 精糖法の研究・塩田開発等殖産の奨励。平賀源内を登用するなど、学問好きの殿様として知られる。
松平頼眞(よりざね) 寛保3年(1743)〜安永9年(1780) 明和8年(1771)〜安永9年(1780) 財政の引締めと民政の復興を行う。藩校講道館を建設。
松平頼起(よりおき) 延享4年(1747)〜寛政4年(1792) 安永9年(1780)〜寛政4年(1792) 度重なる大干ばつ発生。領民に米を貸す等善政を施す。
松平頼儀(よりのり) 安永4年(1775)〜文政12年(1829) 寛政4年(1792)〜文政4年(1821) 地場産業の振興を行うも、藩札発行でインフレを招く。
松平頼恕(よりひろ) 寛政10年(1798)〜天保13年(1842) 文政4年(1821)〜天保13年(1842) 文化面では、町人出身の長町竹石等を庇護する。塩田開発等により財政再建を果たす。『歴朝要紀』の編纂を行う。
10 松平頼胤(よりたね) 文化7年(1810)〜明治10年(1877) 天保13年(1842)〜文久元年(1861) 井伊大老と親しくする。攘夷防衛の要所警固や水戸藩政後見を担い治世中の多くは江戸詰め。
11 松平頼聰(よりとし) 天保5年(1834)〜明治36年(1903) 文久元年(1861)〜明治2年(1869) 朝敵とされるが恭順の道を選択をする。上京し後に伯爵となる。

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